tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

プラザ合意後の日本の物価(長期デフレ)

2010年03月23日 13時56分30秒 | 経済
プラザ合意後の日本の物価(長期デフレ)
 自国の為替レートをわずか2年ほどで2倍に切り上げられた時、その国の経済・社会に何が起こるかを現実の経済社会で実験してみるといったことは通常できることではありません。
 しかし、こんな経済史上でも稀有なことを現実に体験してしまったのがプラザ合意後の日本です。これは日本人として、正確に検証して経済史上、経済学史上に確り記録と分析を残す義務があるでしょう。

 プラザ合意(1985)後1年ほどで、日本では「土地バブル」が起きました。これは為替レート切り上げでコスト高になった製造業などの海外移転による内需の縮小を防ごうと内需拡大のために行われた異常な金融緩和政策のためです。

 しかしバブルが長続きすることはありません。土地バブルは1991年に崩壊しました。その後の、いわゆる「失われた10年」の原因をバブル崩壊のためと考えている人は多いようです。しかしそれはどうも誤りのようです。この辺りは「 ダブルデフレ」として書かせていただきました。

 日本経済がまさに10年以上の長い期間をかけなければ調整できなかったのは、プラザ合意後2年ほどで$1=¥240が、$1=¥120になったという急激な国際経済環境の変化への対応調整(順応)でした。バブル崩壊だけなら3~4年で十分だったでしょう。

 理由は単純です。グローバル化している経済の中で、円高により、世界一物価高の国になった日本は、その物価水準が世界並みに下がる迄、毎年コストを下げ、物価を下げる努力を続けなければなりません。つまりその間デフレ経済に耐えなければならなかったという事です。
しかし現実問題として、毎年3パーセントも5パーセントも物価を下げることは出来ませんでした。せいぜい1~2パーセントがやっとです。

 実際に起こったことをイメージ的にいえば、日本の物価が年に1パーセントほどのデフレで、諸外国が2~4パーセントほどのインフレで、多分50パーセントぐらいあった、彼我の物価の差が、10年以上かけて、何とか似通った水準になったということでしょう。

 これは、購買力平価などの推計からの検討で可能なはずですが、残念ながら、この種の推計は余り正確なものがないようです。
しかし現実にヨーロッパやアメリカに行ってみて、「日本の物価もそんなに高くないな」と感じるようになったのは2000年代に入って少したってからでしょう。

 2003年辺りからは、消費者物価指数の下落幅も僅少になり、日本経済は「いざなぎ越え」といわれた微弱な回復期に入って行きます。本来は、これで、調整完了のはずでした・・・・。


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